澤田様の紹介

ボクたちの野心​

中国菜 エスサワダ 澤田州平さん

プロフィール 澤田 州平 

(株)セブンスイノベーション代表取締役 中国菜 エスサワダ オーナーシェフ
1980 年1 月 兵庫県姫路生まれ。
2000 年 大阪あべの辻調理師専門学校卒業。同年4 月 (株)神戸三田新阪急ホテル入社。
2003 年 広東料理 鄧家壮入社。
2006 年 香港 福臨門酒家等の数々のレストランで研修。
2008 年 六本木SILN火龍園入社。
2010 年 グランドハイアット東京チャイナルーム入社。
2013 年 (株)ジョーズシャンハイジャパン 料理長として入社。
2015 年 中華旬菜 サワダ 料理長として入社。
2016 年 オーナーシェフとして中国菜エスサワダ開業。
開業1年足らずという速さで「ミシュランガイド大阪2018」一つ星を獲得し、
以来2022年まで5年連続で一つ星を誇る。

目指すは食のエンターテイナー​

これからも野心をもって学び続けたい​

古い体質から抜け出せないと思われがちだった中国料理店を、軽やかでポップな存在にした立役者「中国菜 エスサワダ」総料理長澤田州平さん。ホテルの高級中国料理店と町中華の中間的存在ともいえる最先端中華を牽引してきました。
前半に引き続き今回は、現在のお仕事の内容や今後の展望、専門学校生のみなさんへのメッセージもお聞きしました。

テレビ出演が、ご自身の転機でもあったということですか?

中国料理のイメージアップを図りたかった​

そうですね。おかげさまで独立から丸5年が経ち、6年目に入りました。もちろん、ときには「このままでいいのか」と立ち止まって考えることもあります。けれど実際のところ、止まってはいられないくらい、忙しい日々が続いています。
 そのひとつのきっかけがテレビ出演です。出演をお受けしたのは、店を知っていただきたい気持ちがあったからですが、それとともに、中国料理のイメージを変えたい思いもありました。
 かつて、テレビで見る中国料理の料理人は、言葉はよくないかもしれませんが、おしゃれさやトレンドからは遠い存在でした。ステレオタイプとでもいうのでしょうか。体格のいい料理人が狭い厨房で汗をかきつつ、大きな包丁で野菜を切ったり、中華鍋を振ったり。料理人になりたい若い人は増えているにも関わらず、中国料理を目指す人が少ない理由のひとつには、「中国料理は重労働だ」というイメージがあるからではないでしょうか。だから、テレビ出演をきっかけに、それを払拭したいと思いました。

テレビ出演でどんなことが変わりましたか?​

若い料理人が腕を奮う場所をつくる

まずは家族や親戚が喜んでくれましたよね。忙しくてなかなか会えない親や兄弟などもテレビにでることで、僕が元気で頑張っていると知ってくれる。「見たよ」と連絡をもらうと、嬉しかったですね。
 料理だけでなく、食のプロデュースやコンサル的な仕事も増えました。番組を見て来てくださるお客様が増えたことに加え、うちで働きたいという人も現れました。これは、目指していたことのひとつでした。若い人に「いろんな場で活躍する料理人になりたい」と思っていただけたということかもしれません。飲食店の大きな問題は、人材不足です。そんななか、自ら志願して就職してくれる人がいることは、ほんとうにありがたい。
 そうやってうちに来て、頑張って料理人としてのスキルを身につける彼らに、次のステージを作ることも僕の使命です。そのひとつとして、「中華バルサワダ」や「サワダ飯店」といったカジュアル店を展開してきました。優秀な若い料理人が料理長として腕を奮うだけでなく、経営を実践できる場を増やせます。コロナ禍もあってなかなか独立できない時代ですから、彼らが活躍できる店をフランチャイズも含め、増やしていかなければと考えています。

人材を育てる秘訣や社員の方に伝えていることをお教えください。

生き方、考え方が変わらなければ人は成長できない

料理やサービスを学んで身につけることはもちろん大切ですが、その前にひとりの社会人、人間としての力をつけてほしいと思っています。当たり前のことですが、きちんと相手の方の目を見て挨拶をする、時間は守る、周りの人への感謝を忘れないなどは、常々、心がけてほしいとお願いしていることです。お客様だけでなく、食材を提供してくださる生産者さんやパートナー企業の方々に対しても、感謝の心をもって接してほしい。「初対面でもスムーズにコミュニケーションがとれるように」と続けているのが、朝礼でのスピーチです。毎朝ひとりずつ、「最近感じたこと」や「日常であったこと」などを話してもらいます。人前で話す力や伝える力が身につけば、どんな職業についても自信がもてると思うからです。
もうひとつ。必ず、それぞれに将来設計をしてもらいます。いつ頃までにこのレベルに達したいとか、料理長になるとか… 。何歳には店を任される、独立する、テレビに出演する、留学する。そんな目標を決めて、そのためには今何をすればいいかを考える。そうすれば、おのずと今やるべきことが見えてくるでしょう。

澤田さんの将来設計はどのようなものですか?​

食のエンターテイナーが終着地!​

自分が思い描く最終地点を100だとすると、今はまだ20%くらいまでしかきていません。まだピラミッドの土台を築いたところです。今後はまた変わるかもしれませんが、フランチャイズも含め、店舗は88 件まで増やすのが目標。ほかにも、飲食店の人材育成、食のコンサル業や店舗プロデュース、メニューや商品開発など、食のエンターテイナーとして多彩な仕事をしたいですね。テレビ出演もどんどんやっていきたい。ほかの誰も言わないコメントができるよう、僕も努力します(笑)。
 料理人としての技量的だけでいうと、僕よりレベルの高い方は何人もいらっしゃいます。だから、その方々とは違ったことをやるべきです。今以上に話題になる店を増やすことも含め、新たな中国料理界の未来を切り開いていくことも自分の役割だと思っています。
 子どもの頃によく見た夢があるんです。それは、自分のお葬式の夢です。多くの人が集まって笑顔で僕を見送ってくれる。これは僕の希望なのかもしれません。人の価値は死ぬときにはじめてわかりますから。
 お墓に刻んでほしい言葉は「中国料理界の革命児ここに眠る」でしょうか(笑)。

最後に、澤田さんにとって大切な心とは?

いい意味での野心を持ち続けたい​

野心です。いい意味での野心は大切です。ひとりでできることは限られていますから、自分に賛同してくれる人を増やすこと。だれよりも多くこれまで以上の仕事をする。そんななかで、「人として大切なこと」をまだまだ学びたいですね。

顧客サービスは顧客サービスとして非常に重要です。